徹底考察、100万回生きたねこ (ニシカゲ)
こんにちは、ニシカゲです。
みなさん「100万回生きたねこ」という絵本をご存じだろうか。
100万年生きたねことは?
百万回生きたねこは佐野洋子さん作の日本を代表する絵本である。
三十年以上も前に出版されたのにもかかわらず、いまだに幅広い層に人気がある。
この話をすごく簡単に言うと
「百万回死んで生まれ変わったねこがいて、百万人の飼い主に愛されていたが誰にも心を開かなかったが、
のらねことして生まれ変わった時に、ある雌猫に恋に落ちて幸せに暮らしていたが、
その雌猫が死んで大泣きして死んでしまい、二度と生き返らなかった」
という話である。
子供のころはこの話の趣旨がよくわからず、あまり好きではなかった。
しかし、大人になった今の目線でこの物語を読んだときに子供のころには得られなかった発見と感動があるはずだと考え、今回の研究に挑んだ。
100万回生きたねこの生きた累計時間
このねこは百万回死んで生き返ったというが、このねこが今までに生きてきた年月の合計を推定してみる。
猫の平均寿命は野良猫か飼い猫かでだいぶ違うらしいが、「百万人の人に愛された」と書かれているのでこのねこは最期の生涯をのぞいてずっと飼い猫だったと仮定する。
飼い猫の平均寿命は約十五歳ほどでギネス記録は三十八歳。
二十歳以上生きるのは稀であるとのこと。
なので一回の生涯で十五年生きたということにする。
十五年の生涯を百万回繰り返すということはその累計はなんと千五百万年。
つまりこのねこが生き始めたのは千五百万年前ということになる。
千五百年前といえばまだチンパンジーと人が分化しておらず、アウストラロピテクスすら出現していない時代である。
ちなみにこの時代には今のような猫もまだ生まれておらず、先祖の大型の肉食獣がかろうじて猫と呼べなくもない状況である。
半分チンパンジーみたいなやつが、大型ネコ科肉食獣を手なずけて可愛がっている様子など想像できない。
これはいくらなんでもおかしいと思って本を読み返してみると冒頭できちんとこう書かれていた。
100万年も しなない ねこが いました。
100万回も しんで 100万回も 生きたのです。
りっぱな とらねこでした。
100万人の 人が そのねこを かわいがり
100万人の人が そのねこが しんだとき なきました。
なるほどこのねこは100万年生きたようだ。
100万年生きた?
百万年を百万回で割ると一年。
このねこは一回の生涯につき平均一年生きたようだ。
この数値は猫の寿命で考えるとかなり短い気がするが本の内容からするとこのねこはかなり運が悪いようだ。
本で紹介されている生涯の例の六回中五回が事故死である。
生まれてすぐ死んだ人生も一万回くらいあったのかもしれないのでこの数値は妥当といえば妥当かもしれない。
しかし、一千五百万年からだいぶ短くなったとはいえ百万年という年月は長い。
百万年前といえばまだデーモン小暮すら生まれていない。
また、現代のような人間はまだおらず、ジャワ原人とかがいた時代である。
ちなみに北京原人の出現がここからさらに五十万年後で、ネアンデルタール人の出現がさらに二十三万年後だ。
現在の人間が出現するのはさらに三万年後、つまりこのねこは七十六万年の間原始人に飼われていたことになる。
考えてみてほしい。
猫のようなか弱い動物が野蛮な原始人に飼われる様子を。
原始人はこのねこを可愛がっていたつもりかもしれないが、ねことしてはいつ食われるのかとびくびくして暮らしていたのかもしれない(いくら生まれ変われるとはいえ)。
これが七十六万回も続くのだからたまったもんじゃない。
七十六万年もの長い年月の中でこのねこは何を考えたのだろうか。
七十六万年かけて人類が出現した後もねこの暮らしはあまり変わらず、多くの気候変動と災害に苦しむ。
さらに二十三万年後にやっと人類が文明を持ち始めたころにはもうすっかり、人間が嫌いになっていたに違いない。
それでも絵本によると「ねこは一回もなきませんでした」なのだから大したものだ。
絵本に書かれてある六つの人生の考察
この絵本にはねこ百万回中六回分の人生が軽く紹介されている。
簡単に誰々に飼われていて、何々で死んだとしか書かれてないので一つずつ詳しく考察していく。
王様に飼われていた時代
あるとき ねこは 王さまの ねこでした。
ねこは 王さまなんか きらいでした。
王さまは せんそうが じょうずで いつも せんそうを していました。
絵本にはこう書かれているだけでどこの王様だったかは書かれていないが、王様の身なりからすると、ヨーロッパあたりだろう。
中世のヨーロッパには戦争に明け暮れていた国は多くあるためどの国の王様か特定はできない。
話の順序からすると、絵本に取り上げられているねこの人生としては一番古いようだ。
しかし、せいぜい千年前かそこらの昔である。
一方でこのねこはいままで九十九万年以上生きているのだ。
人間同士の戦争や権力争いなど嫌になるほど見てきたに違いない。
「おごれるものも久しからず……」なんて言葉をこのねこが知っていたかどうかわからないが、戦争に勝ち続けても、いずれより大きな勢力に飲まれて滅亡するということも知っていたのだろう。
何しろ、人類の歴史を九十九万年間も見守ってきたのだから、全く進歩しない人類に嫌気も刺したのだろう。
王様を好きになるはずもない。
船乗りに飼われていた時代
あるとき ねこは 船のりの ねこでした。
ねこは 海なんか きらいでした。
船のりは せかいじゅうの 海と せかいじゅうの みなとに ねこを つれていきました。
ここでは、ねこは船乗りが嫌いとはあえて言わず、海なんか嫌いだと書かれている。
実際、ねこは水が大嫌いで少し足にかかっただけでも相当嫌がる。
逃げ場のない海の上に何か月も閉じ込められていたらストレスも相当たまるだろうし、間違いなく海も嫌いになるだろう。
百万年近く付き合っているのに、いまだに自分の生態を詳しく知ろうとしない人類にねこは怒りを覚えたに違いない。
サーカスの手品師に飼われていた時代
あるとき ねこは サーカスの 手品つかいの ねこでした。
ねこは サーカスなんか きらいでした。
手品つかいは 毎日 ねこを はこの中に 入れて
のこぎりで まっぷたつに しました。
それから まるのままのねこを はこから とりだし はくしゅかっさいを うけました。
こんな危ない手品をやらされていたなら、ねこでなくてもサーカスが嫌いになるだろう。
本当にねこを愛していたのか怪しいものだ。
この手品師は、「大丈夫、絶対成功する」といつも自信満々だったのだろう。
しかしねこは、生きてきた長い年月の中で絶対や必ずなどこの世に存在しないと痛いほどよくわかっていたはずである。
「絶対成功するから」というやつに限って失敗するということは、私もこの短い人生で何度も感じたことだ。
このねこは私の五万倍生きているのだから「絶対成功する」と言って破滅した人間を私の五万倍見ているのだ。
この手品師がいずれ失敗するであろうということは予想できていたはずだ。
だが、自分がどう嫌がろうとも、手品師は手品の成功を盲信してこの危険なショーをつづけるということもねこにはよくわかっていたのだろう。
泥棒に飼われていた時代
あるとき ねこは どろぼうの ねこでした。
ねこは どろぼうなんか だいきらいでした。
どろぼうは ねこと いっしょに くらい町を ねこのように しずかに歩きまわりました。
どろぼうは いぬのいる 家にだけ どろぼうに はいりました。
いぬが ねこに ほえている あいだに
どろぼうは 金庫を こじあけました。
ここでも、ねこは飼い主が嫌いだったと書かれている。
しかも今回からは「大嫌い」である。
だが、私は別にこの男が泥棒という悪人であったから大嫌いだったというわけではないと考えた。
何しろ百万年近く生きてきたねこである。
人間に善と悪という概念が生まれる前から存在しているのだ。
悪いとか良いだとかというのは所詮主観的に決められるものであり、この泥棒が悪人かそうでないかなど誰も決めることはできないのだと考えていたのかもしれない
もうこのころになると、悪人ではなく人間そのものが嫌いになっていたのだろう。
大嫌いなはずなのにこの泥棒の片棒を担いでいるのは、人類はもう更生の余地なしと諦めきっていたためかもしれない。
またこのページの文章の後半に注目してほしい。
ある日 ねこは いぬに かみころされてしまいまいした。
どろぼうは ぬすんだ ダイヤモンドと いっしょに ねこをだいて
夜の町を 大きな声で なきながら 歩きました。
そして 家に帰って 小さなにわに ねこを うめました。
この文章を見ると一瞬この泥棒がよい奴のように見えてしまうが実はそうではない。
この泥棒はねこを抱いて泣く一方で、盗んだダイヤモンドもしっかりと抱いているのである。
ねこが死んだことは確かに悲しいが、それはそれとしてダイヤモンドはしっかりといただくという人間の意地汚さのようなものが見えてくる。
「自分が泥棒なんかしたせいでねこが死んでしまった」と本気で後悔していたならこの泥棒は自首したはずだ。
結局、この泥棒が流した涙は自分の良心のためであり、単なる自己満足にすぎないのだ。
「悪人でありながら良心のために涙を流すとは、人間とは可笑しなものよ」
とこのねこなら鼻で笑っていただろう。
おばあさんに飼われていた時代
あるとき ねこは ひとりぼっちの おばあさんの ねこでした。
ねこは おばあさんなんか だいきらいでした。
おばあさんは 毎日 ねこをだいて 小さなまどから 外を 見ていました。
ねこは 一日じゅう おばあさんの ひざの上で ねむっていました。
やがて ねこは 年をとって しにました。
よぼよぼの おばあさんは よぼよぼの しんだねこを だいて
一日じゅう なきました。
おばあさんは にわの 木の下に ねこを うめました。
悲惨な事故死を繰り返してきたねこにとって寿命で死ねたことは快挙である。
ここではねこは一貫して普通の飼い猫として生きている。
はっきり言ってしまうと動物を飼うという行為自体自己満足の塊でしかない。
動物を飼う行為は子どもを育てることと似ているが根本が違う。
親は子どもは育てるが、飼い主はペットを愛でるのである。
最近「子供に嫌われるのが怖い」と言って、学校に教育を任せる親が増えているというが、このようなことが起こるということは親と子どもの関係が面倒くさいものであることを示している。
だが、飼い主とペットの関係はそんな難しいことを考える必要はない。
ただペットの喜ぶことをしていればいいのだから。
この身寄りのないばあさんはねこを飼うことで満足しようとしていたようだか、そのねこに「大嫌いだ」と思われていたのだから皮肉なものだ。
子どもに飼われていた時代
あるとき ねこは 小さな 女の子の ねこでした。
ねこは 子どもなんか だいきらいでした。
女の子は ねこを おんぶしたり しっかり だいて ねたりしました。
ないたときは ねこの せなかで なみだを ふきました。
ある日 ねこは 女の子の せなかで おぶいひもが
首に まきついて しんでしまいました。
ぐらぐらの頭に なってしまった ねこを だいて
女の子は 一日じゅう なきました。 そして ねこを
にわの 木の下に うめました。
ねこは しぬのなんか へいきだったのです。
最期の一文は決して強がりではない。
何しろ100万回近く死んでいるのだ。
今更死ぬのなんて怖くないのだろう。
今回も飼い主が子どもだと知って「これは死んだかな」とか思っていたのかもしれない。
もはや死んだ回数が増えることは彼にとって一種のステータスになっていたのかもしれない。
最期の生涯
100万回生き、100万回死んだ先にねこがたどりついたのは自己愛であった。
100万人の人々はねこを愛したものの、結局は自分のためにねこを飼っていたのだ。
ねこは彼らの可愛いペットであったが家族ではないし、ましや恋人でもないなかったのだ。
そんな人間ののがれることのできない自己愛という性を身近で観察する中で自らもそれに染まっていったのかもしれない。
どんな めすねこも ねこの およめさんに なりたがりました。
大きなさかなを プレゼントする ねこも いました。
上等のねずみを さしだす ねこも いました。
めずらしい またたびを おみやげにする ねこも いました。
りっぱな とらもようを なめてくれる ねこも いました。
ねこは いいました。
「おれは 100万回も しんだんだぜ。いまさら おっかしくて!」
ねこは だれよりも 自分が すきだったのです。
「おれは 100万回も しんだんだぜ。いまさら おっかしくて!」
これはこのねこだからこそ言える台詞である。
このねこは百万年分の世界を見てきたわけであり、そこらへんにいる現在しか生きていない猫とは根本的に違うのだと自負しているのだ。
今更少し立派なねずみをもらったところで
「俺は100万年前に存在したネズミの先祖である大型肉食哺乳類を見てきたんだぜ。いまさらおっかしくて!」
だろう。
しかし、このねこの生涯は突如として終わりを迎える。
このねこの前に白い猫が現れたのだ。
この白い猫はただ一匹ねこが100万回生きたということを尊敬しなかった猫である。
このことに腹を立てたねこはいろいろな話や行動で白猫の気を引こうとする。
要は一目ぼれだったのである。
二匹は結婚してたくさんの子供を授かる。
それと同時にこのねこは「俺は100万回……」とは言わなくなった、なぜだろうか。
このねこは普通のねこと違う。
100万年の時間を生きて、世の中で絶対なんてないということも知っているし、生き物はいつか死ぬことも知っている。
全てを悟りつくした神のような存在なのである。
だが、この白猫と一緒にいるときだけは100万回生きたねこではなく普通の猫として暮らしたかったのではないだろうか。
いつか終わりが来るとわかっていても忘れていたかったのではないだろうか。
白いねこは すこし おばあさんに なっていました。
ねこは いっそう やさしく グルグルと のどを ならしました。
ねこは 白いねこと いっしょに いつまでも 生きていたいと 思いました。
全てを悟りきったうえでこんなことを思うねこはどれだけ辛かっただろうか。
ある日 白いねこは ねこの となりで しずかに うごかなく なっていました。
ねこは はじめて なきました。 夜になって 朝になって
また夜になって 朝になって ねこは100万回も
なきました。
朝になって 夜になって ある日の お昼に ねこは
なきやみました。
ねこは 白いねこの となりで しずかに うごかなくなりました。
ねこは もう けっして 生きかえりませんでした。
この話はハッピーエンドである
百万回生きたねこは二度と生き返ることができなくなったが、これでよかったのではないだろうか。
もし、これで生き返ったとしても必ずこの白猫や子猫たちのことを思い出してしまい、苦しむことになるだろう。
しかも、それが永久に続くのである。
新しい恋猫もたぶん作ることはできないだろう。
そう考えると、ここでねこを静かに死なせた作者はやさしい人だったと思う。
もし私が作者でまた生まれ変わらせてストーリーを続けさせるとしたら、古文の文章題のオチみたいに出家させるぐらいしか思いつかない。
最期に
このねこの歩んだであろう生涯を予想し、まとめてみたので今後の人生設計に役立ててほしい。
猫が生きた生涯(ダイジェスト版)
100万年前~50万年前
主な事件
気候変動など
1回目
ねこ初めて生まれる。
初めての飼い主はインドネシア在住のジャワ原人。
他の原人に食われて死ぬ。
ジャワ原人大泣きする。
2回目
ねこ、生き返る。
次の飼い主もジャワ原人。
他の肉食獣に食べられて死ぬ。
ジャワ原人大泣き。
3回目
ねこ、また生き返る。
飼い主はジャワ原人。
海でおぼれて死ぬ。
ジャワ原人大泣き。
以上のようなことが五十万回繰り返される。
50万年前~23万年前
主な事件
北京原人の出現
500001回目
ねこ、相変わらず生まれかわる。
次の飼い主は北京原人。
ねこ、急激な気候変動についていけず死ぬ。
北京原人大泣き。
500002回目
ねこ、生まれ変わる。
次の飼い主も北京原人。
近くの火山が噴火し、火山弾が当たってねこ死ぬ。
北京原人大泣き。
500003回目
ねこ、生まれ変わる。
次の飼い主も北京原人。
ねこ、隕石にあたって死亡。
北京原人大泣き。
以上のようなことが27万回繰り返される。
23万年前~20万年前
主な事件
ネアンデルタール人出現
770001回目
ねこ、性懲りもなく生き返る。
次の飼い主はネアンデルタール人。
大型草食獣に踏みつぶされて死ぬ。
ネアンデルタール人大泣き。
770002回目
ねこ、生き返る。
次の飼い主もネアンデルタール人。
ねこ、原人に飽きて自殺。
ネアンデルタール人突然のことに大泣き。
770003回目
ねこ、生き返る。
次の飼い主もネアンデルタール人。
ねこ、自殺しても意味がないことを知り、絶望して自殺。
ネアンデルタール人大泣き。
以上のようなことが三万回繰り返される。
20万年前~5万年前
主な事件
ホモサピエンス出現
800001回目
ねこ、生まれ変わる。
次の飼い主はアフリカ在住のホモサピエンス。
ねこ、人類の進化に多少感動。
ねこ、石器が刺さって死ぬ。
ホモサピエンス大泣き。
800002回目
ねこ、生まれ変わる。
次の飼い主もアフリカ在住のホモサピエンス。
ねこ、大規模な地割れにのまれて死ぬ。
ホモサピエンス大泣き。
800003回目
ねこ、生まれ変わる。
次の飼い主もホモサピエンス。
ねこ、悪魔に蝋人形にされ死亡。
ホモサピエンス大泣き。
以上のようなことを15万回繰り返す。
5万年前~1万年前
主な出来事
クロマニョン人出現
ネアンデルタール人絶滅
日本列島完成
イヌが人間に飼われ始める
950001回目
ねこ、生まれ変わる。
次の飼い主はクロマニョン人。
ねこ、人間に飽き始める。
ねこ、溶岩にのまれて死亡
クロマニョン人大泣き。
950002回目
ねこ、生まれ変わる。
次の飼い主もクロマニョン人。
一緒に飼っていた犬にかみ殺される。
クロマニョン人大泣き。
950003回目
ねこ、生まれ変わる。
次の飼い主もクロマニョン人。
ねこ、酒に酔ったクロマニョン人に踏みつぶされる。
クロマニョン人大泣き。
以下同じようなことが4万回繰り返される。
1万年前~5千年前
主な事件
人類初の農耕が始まる
縄文時代に突入
990001回目
ねこ、生まれ変わる。
次の飼い主は日本列島在住の縄文人。
ねこ、ふぐの毒に当たって死ぬ。
縄文人大泣き。
990002回目
ねこ、生まれ変わる
次の飼い主も縄文人。
ねこ、土器に頭をぶつけて死亡。
縄文人大泣き。
990003回目
ねこ、生まれ変わる。
次の飼い主も縄文人。
ねこ、磨製石器が刺さって死ぬ。
縄文人大泣き
以下同じようなことが五千回ほど繰り返される。
5000年前
主な出来事
エジプト文明、メソポタミア文明など四大文明が起こる
995001回目
ねこ、生まれ変わる。
次の飼い主は、エジプトのファラオ。
ファラオ、死ぬ。
ねこ、お供としてミイラにされる。
995002回目
ねこ、生まれ変わる。
次の飼い主はインダス川付近に住むパキスタン人
ねこ、インダス川でおぼれて死ぬ
パキスタン人大泣き
995003回目
ねこ、生まれ変わる。
次の飼い主は黄河付近に住むアジア人。
ねこ、黄河でおぼれて死ぬ
アジア人大泣き
紀元後0年~
主な出来事
漢や古代ローマ帝国の出現
998001回目
ねこ、生まれ変わる。
次の飼い主は漢の皇帝。
ねこ、漢王朝の腐敗に絶望し自殺。
皇帝大泣き。
998002回目
ねこ生まれ変わる。
飼い主はやっとここで絵本に出てきたあの戦争のうまい王様。
ねこ、戦争中敵の攻撃が当たって死亡。
王様大泣き。
998003回目
ねこ生まれ変わる
世は大航海時代。
飼い主は船乗り。
ねこ、海に落ちて溺れ死ぬ。
船乗り大泣き。
その後、二千年近く飼い猫が一年で死ぬ現象が世界各地で多発する。
1900年~1977年
999923回目
ねこ生まれ変わる
飼い主はサーカスの手品師。
ねこ、手品中に案の定事故死。
手品師大泣き。
この間も猫が一年足らずで死ぬ事件が相次ぐ。
999953回目
ねこ、生まれ変わる。
飼い主は日本に住む教師。
ねこ、ビールを飲んで酔って水瓶に落ち、死亡。
この間各地で猫が死ぬ。
999962回目
ねこ、生まれ変わる。
泥棒に飼われる。
ねこ、このころには善と悪を超越した存在となる。
でも、犬にかみ殺される。
泥棒大泣き。
各地で一年ごとに猫が死ぬ
999982回目
ねこおばあさん飼われる。
珍しく長生きする。
寿命で死ぬ。
おばあさん大泣き。
前回長生きした分のつじつまを合わせるために生まれて一秒で死ぬ猫が現れる。
9999999回目
ねこ、女の子に飼われる。
次生き返ったら、100万回という偉業を達成できるためわくわくするねこ。
内心で早く死なないかなと思う。
ねこ、おんぶ紐が絡まって死亡。
「やった!記録達成!」
女の子大泣き。
1000000回目
ねこ、のらねことして生まれる。
白猫と恋に落ちこどもをさずかる。
白猫老衰で死ぬ。
ねこ大泣き
泣き疲れて、ねこ死亡。
1977年
「100万回生きたねこ」出版
終わり
無論、このまとめだけが正しいわけではないので、絵本をベースに独自に考察して、自分の好きな歴史上の人物と接触させたりしながら自分だけの年表を作ってみよう。
陰の者