齢23にして離乳を追体験する2日間 (kubomi)
誰しもが一度だけ通る離乳の道。それをもう一度体験してみよう。
味覚は年齢によって変化していくものだが、その変化は不可逆だ。金に余裕の出来た中年がブリキのおもちゃに夢中になることはあっても、年老いた老人が昔よく食べたようにケチャップをたっぷりかけたハンバーグを口に入れることはまずない。味覚は成熟する。ピーマンの苦味、肉の脂身の食感、内臓の滋味、磯の臭気、酒の酔気…… それらを解するようになっていつしか、甘い卵焼きやタコさんウィンナーを食べようとはしなくなってしまう。
そこで、ここは一度「離乳」にさかのぼって、自分がどのようなものを食べてきたのか、その味がどんなだったのか検証してみる。
薬局でベビーフードを買う
今回購入したのはこちら
- 粉ミルク
- 離乳食(5ヶ月用~1歳6ヶ月用)
- 幼児用お菓子
これらの食品だけで2日間を過ごし、自分の食の歴史を見つめなおそうというわけである。
ちなみに1日目は体ごと赤ちゃんに戻るため紙おむつで過ごすという考えもあったが、流石にそんなところを突き詰めたところで、人間としての尊厳を脅かすだけだと冷静になり、やめた。自力でおむつに用を足したところで、そんなものが写真に撮れる訳もなく、俺が困るだけだ。いい加減にしろ。
1日目 8月20日
朝食
7:30に起床。前日に酒を飲み頭が痛いが、「俺は今産道を通ってきたせいで頭が締め付けられた」と自己暗示をかけ、朝食をとることにする。そう、今日の私は0歳児から始まるのだ。
人肌程度に冷ましたぬるま湯で粉ミルクを溶かす。湯は少量だがさっと溶けた。
飲んでみる。 ……甘い。牛乳のような臭みはなく、普通の牛乳よりもかなり甘く感じる。そういえば昔、探偵ナイトスクープ(関西のTV番組)で母乳でプリンを作る回があり、出演者が甘い甘いと騒いでいたような記憶がある。
これが母乳の味なのだろうか。「お前は私の乳首を噛み千切る寸前まで噛んだ」と母は言っていたが、これがかつて、そうまでして欲した味なのだろうか…… 複雑な気持ちになりながら朝食を終える。
昼食
昼食は生後5ヶ月の幼児を対象にした、湯でふやかすタイプのお粥である。
ふやかす前の粉末はこのような感じ(写真は2包分)。
そして湯でふやかすとこのようになる。
味はというと、めちゃくちゃ細かいお粥という、見た目のまんまの味だ。むかし理科の授業で、ご飯を噛み続けると唾液で分解されて甘くなると聞かされ、家でご飯を執拗にクチャクチャ噛み続けてドロドロになった、あのご飯の味だ(”あの”と言ってどれだけ共感してもらえるか怪しいが)。
湯の量を調節すれば、もっとゆるいお粥にも、あるいはもっとモチモチした、いわゆる「皆殺し」の米のようにすることもできるようだ。
産まれて数ヶ月はミルクだけで生活をし、固形物の嚥下を拒否しなくなるまでに、こんな味気ないものを延々と食べるという事実。今なら梅肉や鰹節をぶっかけてズルズルとかきこんでしまいたいようなこんなものを、俺は文句も言わずに食べていたのか、と思う。
夕食
夕食はバイト先でこっそり食べた。もちろん離乳食を、である。
生後7ヶ月向け、「ひらめと卵のおじや」をフードコンテナに入れて持ってきた湯で温めて食べる。
かなり魚介系の出汁の味がする。あと醤油。かなり薄味ではあるが、グルメリポートでよくある表現だと「やさしい味」である。具に細かい卵黄とひらめの身が入っており、おいしい。米の粒もわずかにあるが、大部分はドロドロした半固形状のもので占められている。
ちなみにこのあたりから、私は離乳食の「見た目のゲロっぽさ」を必死に考えないようにするという、自分との戦いに巻き込まれていくことになる。
2日目 8月21日
朝食
特に予定がなかったため8:30と遅めに起床する。めちゃくちゃ腹が減っている。急いで朝食を食べよう。
生後9ヶ月向け、「白身魚と野菜のクリーム煮」
(写真の撮り方がまずかったのか、夜道でいきなり浮遊する謎の離乳食が出現したみたいな写真になってしまった)
あの天下のキューピーの作ったものだ、まずいわけがないだろうと思って食べてみる。
……?
昨日食べた7ヶ月児向けのおじやより歯ごたえ・食感がない。白身魚も、非常に細かいタラの身が入っているだけだ。一般的なクリーム煮にあるはずのバターのコクもほとんどない。当然塩味も無いに等しい。外国ならパイ投げの要領でセレブの顔面にぶつけるレベルである。「料理は食塩とアミノ酸と油が入っていればなんでも旨くなる」と聞いたことがあるが、その意味ではクリーム煮の旨いところをすべて事業仕分けした形になっており、正直大人が食べれば不味いし、色が色だけにゲロに見える。
ウッ……
見えちゃダメだ、見えちゃダメだ、見えちゃダメだ、とエヴァのシンジ君ばりに自分を律しながら完食。だが気分的には「使徒を…食ってる…!?」という感じである。
いや、昔は美味しい美味しいって食べてたはずなのよ?あの頃って何考えて飯食ってたんだろうな。
昼食
生後12ヶ月向け、「つみれのカレー煮込み」
これはゲロっぽいことを忘れるくらい美味しかった。つみれの食感もありつつ、野菜の繊維質の歯ごたえもかなりある。何より全体の粘度が低く、咀嚼している感じがかなりあった。ただ、味はかなり薄い。
また、流石に腹が満たされなかったので間食を挟む。しまじろうベビーボーロ。
あまりに腹が減っていたため、見境なく3パックぐらい食べてしまった。製造者も、一人暮らしの大学生にこんな食い方されると思ってないだろうな。
乱暴にラッパ食いしたあと、パッケージのかわいいしまじろうのイラストを眺めていたら急に罪悪感が沸いてきた。なんか、自分が戦争で子供の食料を奪っていく悪い兵士であるかのような錯覚に陥ってしまった。「アフリカの子供たちは今も~」と言って活動している人はいつもこんな罪悪感を抱えて生きているのでしょうなあ。クワバラクラバラ、エコエコアザラク……
夕食
生後1歳6ヶ月向け「meiji すきやき丼のもと」
固形感と味の濃さがいままでのものと段違いだ。たまねぎはシャキシャキしているし、しいたけの歯ごたえも牛肉の香りもある。味の濃さも、大人の感覚で「ご飯に合う」と言えるほどではないものの、単体では十分食べて美味しいと思える濃さだ。もうゲロには似ても似つかない。旨い。
やっと自分たちが普段食べているものと同じ感じになってきたな、と言う感じだ。ここにいたるまで、実際には1年半かかる。そう思うと感慨深いものがある。
晩酌
2日間、薄味で食感もないものばかり食べてきた。ここで再び普段の生活に戻ってみる。
ボイルしたソーセージとビール。
……旨すぎる。本当に離乳食ばかりを食べていると、ソーセージにすらバールで頭を殴られたかのような味の濃さを感じる。それに油の量が犯罪的である。「こんなものを食べて良いのか」と思うくらいの油と肉汁だ。
そしてビール。苦い。毒だ。しかし旨い。油もアルコールもそうだが、俺たちは自分の責任で毒を食う権利を得たのだ。長く味気ない食の途上は、このためにあったのだとすら思う。
写真にはソーセージが4本とビールが1缶だが、実際にはこの後ソーセージをさらに4本とビールをさらに2缶空けた……
そして翌朝、そこには二日酔いによろめきながら、生後5ヶ月児向けのお粥を弱った胃に入れるkubomiの姿があった!
万年補欠インターネッター