洋画ジョーク翻訳の奥ゆかしさ (ナカガワ)
こんにちは、ナカガワです。
今回は、「洋画ジョーク翻訳の奥ゆかしさ」についてご説明させていただきたいと思います。
突然ですが僕は映画が好きです。とりわけ洋画を好んで観るのですが、そのなかで時々ひっかかるシーンがあります。
それは、役者がジョークを言う場面です。
僕は洋画は吹き替えよりも字幕で観るタイプです。
字幕版の場合、役者が何かしらのジョークを発する時、その字幕には点々が付きます。これはジョークであることを強調するために用いられるのですが、この点々を見るたびに僕は
「あ~本当はどんなジョークを言ってんだ!?」と気になって仕方がありません。
僕には大したリスニング力もないので何と言っているかが初見で分かるわけもなく、DVDなんかで観ている場合には映画を巻き戻し、英語字幕にして、実際になんて言っていたのかを調べます。
すると、多くの場合、字幕で語られていたものとはかけ離れたジョークに辿り着きます。
英語ならではのジョークの場合や、字数の関係で分かりやすいジョークに直さなければならない場合。
そういった状況を受け、翻訳者の手によってジョークは改変されるのでしょう。
しかし、僕はそこに見られる翻訳者の名翻訳であったり、そこからにじみ出る“新しくギャグを生み出す恥じらい”をとても興味深いと思うのです。
そして、翻訳の面白さは、ジョーク以外の場面にもいくつか見られます。
今回はみなさんに、それらの奥ゆかしさを伝えさせていただきたく思います。
映画『ラブ・アクチュアリー』より
まず一つ目です。
青年“コリン”が職場の女の子にお菓子を配るシーンです。
彼は女性にナッツ系のお菓子を渡すときに、「タマタマ」と言っています。
そして実際に何と言っているかを調べた所、
「Try my lovery nuts?」
という文章。なんとなく勘づきつつも「nuts」を英和辞書で調べてみると、
下の方に「睾丸」という文字が。
つまり、「僕の可愛い金玉をいかが?」と言っているのです。
これはヒドイ下ネタですが、その源流を受け継ぎつつも「タマタマ」という優しい四文字に凝縮させた翻訳者の力技にうならされます。
映画『トゥーウィークス・ノーティス』より
ジョークとは違うのですが、職場を去る同僚に詩を贈るシーン。
詩ゆえに韻を踏んでいるのですが、実際はこう言われています。
「Our hair perhaps we will toss
But we are at a loss」
lossはそのままロスとしていて、tossを「よす」に変えてあります。変化も少ないのでこれくらいの改変からは恥じらいも感じられません。
ゆえに、こういうタイプは見つけた時の興奮もさしたるものではありません。
映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2』より
これまたジョークとは少し違うのですが、英語ならではの言い間違いの翻訳にも興味深いものがあります。
このシーンはデートの誘いを「髪を洗うのに忙しいから」と断られたビフ・タネンがさらに詰め寄る場面です。
「スケスケのウソを言うな」
となっていますが実際のところは
「That’s about as funny as a screen door on a battleship.」
という風に言っています。
本文と全然違います。
これはビフが
アメリカでよく使われる慣用句である、
「That’s as funny as a screen door on a submarine.」という文章を言い間違えたものです。
これは「潜水艦に付いた網戸みたいに馬鹿らしい」 という意味の慣用句なのですが、
ビフは「軍艦に付いた網戸」と言い間違える、という点でビフの馬鹿っぽさを表しているのでしょう。
しかし、これほど本文と違っているとなんだか逆に嬉しくなってきます。
マーティの突っ込みも実は全然違っていたのです。
しかしなんだか「スケスケのウソ」もそれはそれでいいような気さえしてきます。
そしてもう一つ、
未来からやってきた自分に対して、ビフ・タネンが言い放つセリフ
字幕ではビフが「おれをなめると」を間違え、「おれをしゃぶると承知しねえぞ!」
という具合になっています。しかし、実際のセリフはというと
「Make like a tree and get out of here」
という文章。
これまた全然違います。「しゃぶる」なんて全く出てきません。
これは、
「Make like a tree and leave」
「木の真似をして、去れ」という「葉」と「去る」の同音異義語“leave”を利用した慣用句を、ビフが言い間違えているのです。
慣用句を言い間違える、ということで先ほどと同じくビフの阿呆さ加減を表している脚本なのでしょうが、
字幕における改変によって、なんだか下ネタの雰囲気を帯びてしまいました。
翻訳した人はこの訳に辿り着いたとき、どういう心境に至ったのだろうかと思いを巡らせると、なんとも楽しくなってきます。
映画『マスク』より
警察に「パジャマを見せてみろ」と言われてジム・キャリー扮する主人公“スタンリー”が返答するシーン。
字幕では「そのパジャマはオジャマなパジャマで―」
とちょっとしたオヤジギャグが述べられていますが、点々は打たれていません。
英語では何と言っているかというと・・・
「Those pajamas? Those- those pajamas were…」
(そのパジャマ? そのパジャマ、そのパジャマはというと・・・)
そう、なんのオヤジギャグも入っていないのです。
つまりこの字幕は翻訳者による完全創作なのです。
ジム・キャリーはギャグを口にしてもいないのに全く言ってもいないオヤジギャグを言ったことにされているのです。
これはある意味でレアと言えるでしょう。
僕はこういったタイプのものを「ぶっこみ翻訳」と呼んでいます。
海外ドラマ『HEROES season3』第8話より
これは少し外れて映画ではなく海外ドラマですが、
“エル”という女性が“サイラー”という男性の家にパイを持ってくるシーン
「パイがいっぱい」というシンプルなオヤジギャグですが、実際の発言を確認すると・・・
「Hi. Do you like pie?」
(ハーイ、パイはお好き?)
となっています。そのままの訳でも良さそうなものですが、
字幕の字数制限は通常セリフ1秒に対して4文字以内と大変厳しいらしいので、
「パイがいっぱい」で限界ギリギリなのかもしれません。
結果として改変されたこの翻訳は、ジョークの主題から遠からずとも近からず、といった具合です。
これはバランスタイプの翻訳と言えるでしょう。発見した時の興奮もそこそこ。
しかし案外こういうタイプからこそ翻訳者の「恥じらい」がにじみ出ることも多いので、要注意。
ちなみにこれがそのギャグに対するリアクションです。
「この表情は本当はこういう発言に対するリアクションだったのか!」
という風に知ることができるので、「ジョーク翻訳鑑賞」を愉しむことにおいて、その後のリアクションも重要なファクターの一つなのです。
映画『イエスマン』より
これが最後です。
『マスク』同様、ジム・キャリー主演の映画ですが、
主人公“カール”が、バーで自分の元奥さんとその現在の彼氏に出くわし、気まずくなったため帰ろうとする時のセリフ。
「カールはそろそろカールとするか・・・」
というものです。ザ・オヤジギャグと言った感じですが、実際は何と言っているのか・・・
確認してみると、
「Anyway, I am gone-orrhea.」
となっています。
「僕はもう行くよ」というニュアンスの「I am gone.」に単語を付随させ、文章をもじったギャグなのでしょうが、
どうやらGonorrheaという単語とかけているようです。
Gonorrheaを辞書で引いてみると
「淋病」という文字が出てきました。
「僕はもう行くよ」を「僕は淋病なんだ」という風に言うヒドいネタなのです。
「カールはカールとするよ」というかわいいオヤジギャグとはかけ離れたものですね。
これは個人的には大当たりです。
字幕とセリフとの間にこれだけの振り幅が存在しているものに出会うと、なんだかすごいものに出くわした感覚に襲われます。
もし主人公の名前が“カール”でなかったら果たしてどうなっていたのでしょうか。気になるところです。
これがこのギャグに対するリアクションです。
初め観たときは「カールはカールとするよ」というソフトなギャグに対する表情にしては厳しい視線だなぁと思っていたのですが、それもそのはずでしたね。
というわけで、
「洋画ジョークの翻訳のされ方」の奥ゆかしさについて説明させていただきました。
みなさんも、これから洋画を観る際には字幕の翻訳に注意してご覧になっていただくと、
映画の世界が少し変わって見えるかもしれません。
この記事がその一助となれれば幸いです。
オニオンプランター