記事: エンツォの『ルサンチマンノート』

エンツォの『ルサンチマンノート』 第2回

『それぞれのイデア』

 

友達の赤松は売れない芸人でぶくぶく太っていた。俺と同じコンビニで深夜にアルバイトをして稼いだ金を全てパチスロにペカペカつぎ込み、負けては金がない金がないと痴呆のロバみたいに呻いていたが、ある時連勝に連勝を重ね貯まった金でカンボジアに飛び、少女を買い、カンボジアを気に入ってそのまま現地に住み着いた。海外で住むにも色々と準備が必要かもしれない。何度かは日本に帰ってきているのだろうが俺は赤松がカンボジアに飛ぶ前日に小指を立て「行ってきまんにゃあ~わ」と井上竜夫みたいに言ってぷすーっとお互いに笑いながら別れて、それから一度も会っていない。もしかしたらもう日本で普通に生活しているのかもしれない。

 ある日赤松から手紙が届いた。

「こっちはすごい。言葉はあんまし通じないが何をやったって受ける。大阪の小屋とは大違いだよ。あと女の子が買える、合法的に」

 俺はこの手紙に

「そっちで受けたからってどうなる。あと日本人の品位を落とすような真似はやめてくれ」

 全然思ってもいない返事をした。この手紙が赤松に届いたかどうかはわからない。

 一年前、俺は周りの人間の中では誰よりも先に赤松が重度のロリコンだということに気づき、家でこのまま芸人を続けていくのかどうかとかくだらない相談に乗るふりをして酒を呑ませ、泥酔しているうちに赤松の携帯を奪い、画像フォルダを覗いた。そこにはせいぜい中学生くらいの女の子が裸でピースしたり困った顔をしていたりで写っている写真が何百枚もあったので、それらを全て消去。翌日、画像が全て消えていることに気づいた赤松はくすかあと気持ちよく眠る俺の顔面を蹴り飛ばし、なにがなんだかわからず混乱している俺に構わず続いて腹を蹴り俺のあばら骨を二本折った。前歯は折れなかったが脱臼した。痛みにうずくまる俺を見て満足したのか、赤松は布団を被り再び眠りについていびきをかき始めた。うるさい。俺は口からだらだらとねちゃねちゃした血を垂らし、ヨロヨロした足取りで台所に向かい、包丁を取り出して、寝ている赤松の前に立った。刺してやろうと思った。ここで刺したとして、やった、やり返した、のプラスマイナスはイーブンだろうか。俺がプラスか? しかし殺意より先に「何故俺はこいつが好きで友達なのだろう」という思考が占拠して俺は包丁をシンクに放り投げる。何故、と思っているのは俺だけじゃないはず。赤松は売れない芸人だが、こいつを見たくて小さなライブハウスに足繁く通う物好きなファンがいる。デブだし、ギャンブラーだし、馬鹿だし、ロリコンだし、同じインディーズの世界だけでもこいつより面白い奴はたくさんいるのに。他にもっと良い奴がいるはずなのに。

「人には誰が上にも好きな人、いやな人というものがある。そしてなぜ好きだか、いやだかと穿鑿してみると、どうかすると補足するほどの拠りどころがない」。森鴎外の『阿部一族』にあった一節だ。つまり、好きになるのに理由なんて無くてもいいし、あってもいいし、それがしょうもない理由だっていいってこと。

 確かにAKBは北川景子や他女優に比べればブスかもしれない。女性アイドル声優だって、本場アイドルに比べればブスかもしれない。でも、それらにはファンに「かわいい」って思わせる何かがある。何か、は恋心かもしれないしそれ以外かもしれない。わからない外野は、それを無理に理解しようとしなくていいんだよ。

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エンツォの『ルサンチマンノート』 第1回

『レビューと鮒とスリーコード』

 

魚釣りは鮒に始まり、鮒に終わる。AVレビューは有名女優に始まり、有名女優に終わる。これは、基本から基本へ、つまり基本を大切にしなさい、という意味ではない。

私がDNN.comのレビューページへAVの評価を投稿し始め、もう50年が経とうとしている。私は18歳の誕生日を迎えた日から今日まで、週に二、三のペースでAVのレビューを投稿してきた。

初めてレビューしたAVは、当時の人気女優Yがメインで出演しているコスプレ物の作品だった。Yは深夜のバラエティー番組に出演したり、時には一般青年誌の表紙を飾ったりとメディア露出が多く、話題性に富んでおり、私はAVと関連づけて容易にレビューを書き上げることができた。

Yのレビューを書くことでレビューを書く動機となる「使命感」を掴んだわたしは、それからというもの、AVを買い、又はレンタルショップでAVを借りて鑑賞を終える度に、DNN.comにレビューを投稿し続けた。

時には、普段の自分だったら選ばないようなジャンルのAVにも挑戦した。制作側のことを思うと失礼だとは思ったが、レビューを書くためにAVを選んだこともあった。

 30作を越えたあたりで、私はレビューの上達を実感し始めた。100作を越えた時、私のレビューは一つの作品となった。500作を越えた頃になって、私は、作品自体が持っている「速度」に対し、遅れてやってくるレビューの持つ様々なニュアンスのタイムラグを緻密なレベルまでプログラミングし、自在に操れるようになっていた。

 そんなある日のことである。ネットのレビュー仲間から

「最高のレビューが書けた。是非読んで欲しい」

と連絡があった。私はこの時、既に60歳を迎え、レビュー総数も4000作品を越えていた。彼がレビューを書くのは久々のことだったので、私はウキウキしながら、彼のIDから最新のレビューを辿り、そのページを開いてみた。だが、そこには何もない空白だけがあった。「久々にレビューを書いたというので楽しみにしておりました」とメールを送っても、彼からの返信はない。つまり、彼はレビューが書けたという気分を「書いた」と言ったのだ。まるで、室町時代の武将細川成之が紀伊の景色はこんなにも美しかったと何も描かれていない白紙の画軸を広げ、何も描かない行為をこれ以上ない風景と意味させたように。

精神文化を極めた人間は、恐らくこんな気分が自然にやってくるのだろう。レビュアーはこれほどまでに精神的余韻に溢れた言葉の遊びができる人種なのである。私は物凄く感動し、そして、自分の中で確かにあった傲りを恥ずかしく思った。

 わたしは基本である有名女優の作品からレビューの投稿を始めた。やがてこのレビューが高じてジャンルに懲り、ありとあらゆるレビューを体験した。年を取るにつれ、自分はレビューを極めたと自負し始めたまたある日、若造にAVレビューの書き方を教えて欲しいとせがまれた。当然そのレビューの題材は有名女優の作品だ。わたしは若造に細々と説明し、若造がレビューを投稿し終えると大喜びした。そして、その瞬間、私の脳裏にそれまでの自分自身の全てが走馬燈のように流れ、そして、自分が求めていたのはレビューを書いた成果ではなく、こうして若造とレビューを楽しむための百半年と知った。

 レビューを書かないレビューこそ、最高のレビュー。レビュアーの精神文化ではこの達観した心を境地という。

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