短編小説 『ブルーベリータルト』

resize2341

短編小説 『ブルーベリータルト』 (レグルス)


女子高生とケーキの話です。


1.

 朝。制服に着替えて、自分の部屋から一階に降りる。先に起きていたロールケーキとモンブランに挨拶をし、ダイニングのイスに座った。エプロンをつけたロールケーキが私の前に味噌汁を置く。新聞を読みながら朝ご飯を食べるモンブランは、「行儀が悪い」とロールケーキに注意されていた。昔から、モンブランのその癖は直らない。

 テレビのニュースを見ていると、スーツ姿のティラミスが連続ひったくり事件について報じていた。ふんだんにココアパウダーがまぶされている彼の表情を、私には読み取ることができない。恐らく真剣な顔で原稿を読んでいるのだろう。

 学校へ行く前に鏡を見ると、高校の制服を着たブルーベリータルトが立っていた。サクサクして美味しそうなタルト生地に、新鮮なブルーベリーが惜しげもなく使われている。誰が惜しげもなく使っているのかは分からない。行ってきます、とケーキの顔をした両親に声をかけてから家を出た。

 私は通学に電車を利用しないが、ラッシュ時に人で混雑する駅を見るとうんざりする。でも最近は、駅舎に次々と吸い込まれていくケーキ達を見ていると、楽しい気分にさえなってくるので不思議だ。駅を横目に通学路を進んでいると、学生服を着た甘そうなケーキが何人も歩いてる。生クリームや新鮮なフルーツが乗っていて、それぞれに個性があり、見ていて飽きない。異様な光景だが、もう慣れてしまって驚くこともない。

 半年ほど前から、人の顔がケーキに見えるようになった。比喩でもなんでもなく、人間の頭部全体が、商品として売られているような洋菓子のケーキに置き換わって見えるのだ。心配で病院に行ったこともあった。だが「人の顔がケーキに見える」などと連呼していると違う種類の病院に入院させられそうになったので、それからは誰にもこのことを相談していない。

 学校に着くと、おはよう、と言いながらショートケーキが近付いてきた。八等分に切り分けられた形をしている。頭の上に可愛らしいイチゴが乗っている彼女は、私の友人である。

「駅前に最近できたお店のケーキが美味しいって評判なんだってさ」

 彼女はクリームがたっぷり乗った頭を揺らす。ショートケーキは同じクラスに何人かいるが、色や形、雰囲気が違うので見間違うことはない。彼女が一番美味しそうである。

「ナオも一緒に行かない?」

「あれ、ダイエット中だって言ってなかったっけ」

「言ってない。気のせいだよ」

 そう言ってとぼける彼女は、ダイエットを成功させた試しがない。私には彼女がそれほど太っているようには見えないが、そのように伝えても彼女は「ナオは太らない体質だからいいよね」と口をとがらせる。彼女なりの理想の体型があるらしい。もし私がダイエットなどしようものなら、視界がケーキで埋め尽くされている現状に発狂していただろう。

 授業中、首をめぐらして周りを見ると、まるでケーキ屋さんのショーケースのようにクラスメイトが席に着いていて、その様子に笑いそうになる。だが四時限目にもなるとお腹が空いてきて怒りさえ覚えるので、この病気と付き合っていくのも考え物だな、と思う。そもそもこれが病気なのかも不明だ。治るかどうかも分からない。

2.

 ひったくり犯に遭遇したのはその日の放課後だった。

 周囲を良く見ていなかったのが悪いのかもしれない。部活動で忙しい友人と別れ、ひとりで帰り道を歩いていると、曲がり角から急に出てきた人とぶつかってしまった。軽い悲鳴を上げながら、その場に尻餅をついて倒れる。お尻を押さえながら顔を上げると、濃厚そうなチョコレートケーキが私を見下ろしていた。友人と同じように八等分にカットされているその顔は、表面だけでなくスポンジ部分やクリームにも贅沢にチョコレートが使われているようだった。まじまじと眺めていると、チョコレートケーキは走り去ってしまった。

 呆然としていると、後ろから不意に声を掛けられた。背の低いどら焼きがこちらを向いて、頼りなさげに立っている。私の家の近所に住むおばあちゃんだと気付いた。老人は普通のケーキではなく、どら焼きや大福などの顔をしていることが多い。私の脳が彼女をどら焼きだと認識するずっと前、子供の頃からおばあちゃんには親切にしてもらっていた。

 彼女はさっきの男にかばんをひったくられたと話した。どうやら先程のチョコレートケーキは男性だったらしい。犯人を逃がしてしまったことを悔やみながら、おばあちゃんと一緒に警察へ行った。何か協力できることはないかと思ったのだ。だが私は犯人に接触したにも関わらず、何の役にも立たなかった。犯人の顔を見ていないかと警察の人から質問されても、まさかチョコレートケーキの顔をしていたなどと話すわけにもいかない。それどころか、チョコレートケーキに見とれていたため、私は犯人の服装や体格などもろくに覚えていなかった。

 警察から帰るとき、おばあちゃんに謝った。彼女は「ナオちゃんは謝らなくていい」と優しく言ってくれたが、肩を落として下を向いており、顔色というか、どら焼きの焼き色があまり良くなかった。盗られたかばんには現金の他に、遠くに住む孫の写真やその孫がくれたお守りなどが入っていたらしく、落ち込む彼女の背中がより一層小さく感じられた。

3.

「イチゴのショートケーキでいいよね?」

 そう言うと友人は驚いていた。

「何で分かったの? 私がショートケーキが好きだって顔に書いてある?」

 書いてあるどころか、顔全体がショートケーキである。そう考えながら彼女と笑い合う。

 彼女が誘ってくれた駅前の店に来ていた。ケーキが美味しいカフェ、といった感じで、辺りに漂うコーヒーの香りが気持ちを落ち着かせてくれる。木製のテーブルとイスも温かみがあって良い。私はブルーベリータルトを注文した。

「このザッハトルテってなんなのかな」

 友人がメニューを指さして言った。メニューには写真が載っていない。

「小麦粉、バター、砂糖、卵、チョコレートなどで作った生地を焼いてチョコレート味のバターケーキを作り、アンズのジャムを塗った後に表面全体を溶かし、チョコレート入りのフォンダンでコーティングした、濃厚な味わいが特徴のチョコレートケーキの王様と称されるオーストリアの代表的な菓子のことだよ」

「詳しすぎる」

「ちょっと事情があってね」

 調べたところ、あのひったくり犯の顔のチョコレートケーキはザッハトルテという種類のようだった。犯人逮捕に協力できることはないかと一晩中インターネットで調べていたので、詳しくなるのも無理はない。この知識が犯人逮捕に繋がるのかは、疑問が残る。

「ザッハトルテはウィーンのホテル・ザッハーの名物菓子として……」

「その話はもういいから。それより、ほら、気付かない?」

 何を言っているのか分からずに私が首を傾げていると、彼女はしびれを切らしたように、髪形を変えたことを話した。私には彼女の髪形など分かるわけもなく、ただのショートケーキにしか見えない。

「ナオ、最近こういうのに気付かなくなったよね」

 人の顔がケーキに見えるようになってから、表情だけでなく、髪形や、眼鏡や帽子をつけているかも認識できなくなってしまった。なので、友人や家族との会話に齟齬が生じることがある。それほど気にしていなかったのだが、最近は人の顔を覚えることができないのが深刻なことだと思い始めていた。

4.

「ザッハトルテ!」

 私がそんなことを叫びながら走り出したものだから、友人は困ったに違いない。

 カフェを出て、カラオケにでも行こうかと喋っていたときだ。道行く人混みの中に、ザッハトルテを見つけた。メニューにあるケーキではなく、あのひったくりの犯人である。大声を出した私を見て気付いたのか、ザッハトルテは人の波をかき分けて逃げていった。犯人は私の顔を覚えているのだ。友人の困惑した声を背中で受けながら、私は後を追った。

 追いかけたところでどうするかなんて考えていなかった。ただの女子高生が大の大人をひとりで取り押さえることなどできるわけもなく、ひったくりの現行犯でもないので言い逃れされたら終わりだ。どうすればいいのか走りながら考える。

 犯人が路地の角を曲がった。確か、あの路地の先は行き止まりになっている。袋の鼠だ、と思い意気揚々と角を曲がると、腕を振り上げた巨大なザッハトルテが目の前に現れ、その直後、重い衝撃が頭に響いた。

5.

 友人の声で目が覚めた。心配そうに私の顔を覗き込む彼女が視界に入る。

「ナオ、大丈夫?」

「……うん、なんとか」

 頭を押さえながら答える。路地の壁に背中を預けて座っていた。もうすぐ救急車がくるから、と友人は話した。近くには警察の人が何人かいて、色々調べたり無線で誰かと話したりしている。どうやら私は犯人に気絶させられたらしい。

 しばらくすると警察の男の人が近寄ってきて、何があったのか尋ねられた。ひったくり犯を追いかけていたことを話そうと口を開いたとき、目が覚めたときから感じていた違和感に唐突に気付き、声を上げた。

「どうしたの?」

 友人の目が心配そうに私を見る。

「あのさ、髪形だけじゃなくて、髪色も明るくなったよね」

「そうだけど、いまはその話はいいよ」

 彼女と一緒に警察の人も苦笑していたので、私は何だか恥ずかしくなった。いま鏡を見たら、赤くなった自分の顔が映るのだろう。

 その後、自分のかばんを受け取った。犯人は気絶した私のかばんを盗んで逃走しようとしたらしい。警察の人は、犯人はもう逮捕したと教えてくれた。

 錯乱状態の人が暴れているという通報を受けて警察が駆け付けると、恐怖に怯えるような声で「ケーキが歩いている」と意味不明の言葉を繰り返す男がいたそうだ。最初は分からなかったようだが、男の帽子やマスクを取ると、警察が追っていた連続ひったくり事件の犯人と容姿が一致していた。犯人は頻繁に髪形を変えたり変装をしていたそうだが、私には犯人がザッハトルテにしか見えないので関係がなかったようだ。

 犯人が繰り返していた言葉に心当たりはないかと質問されたが、全く意味が分からないです、と私は嘘をついた。

 


resize1535

レグルス

存在しない



カテゴリー: レグルスの記事   パーマリンク